中世、日向の国を治めた歴代伊東氏のお墓を訪ねて【伊東墓地】

今回は、14〜16世紀後半にかけて日向の国を治めた伊東氏が眠る伊東墓地を訪ねて参りました。

場所は、宮崎県西都市大字鹿野田で、都於郡城跡と同じ区域です。

 

この墓地には、

第5代 伊東祐堯(すけたか)
第7代 伊東尹祐(ただすけ)
第8代 伊東祐充(すけあつ/すけみつ)
第11代 伊東義益(よします)

木崎原合戦死者墓 三基

 

…など、歴代日向伊東氏城主ほか、伊東氏に仕えたひとたちのお墓が集まっています。

 

お墓ということで、ブログでの紹介はおろか、そもそも訪問することさえ少し憚られたのですが、この伊東墓地に在るお墓は西都市の市指定史跡として登録されていることが分かりましたので、歴史の勉強として訪問&ご紹介することにしました。

 

 

地図はこちらです。

墓地の正確な地点は上の通りですが、この地点のアドレスが不明なので(2019年10月20日現在)、一番近くにあるスポット【大安寺】をカーナビに入れて、向かいました。

 

大きな池があるのですが、その側に駐車できるところがありあます。以下の写真にて、赤ペンで囲っている部分です。

そこから、矢印の伸びる方向に歩いていきます。

 

脇道に入るところで、案内看板あり。

 

Google mapには表示されない小道を進みます。

先日の台風の影響を受けたのか、竹の倒れこみ方がすごいです。

 

 

伊東墓地は、共同墓地の奥に進んだところに在ります。

到着。

独特な形の墓石がたくさん並んでいます。

伊東氏の墓石にはこのような形(様式)のものが多くみられており、「伊東塔」と呼ばれているそうです。

 

大安寺は、もと總昌院と称し都於郡城主、伊東祐堯の菩提寺として建てられた。そのためこの地域には伊東主従の墓が数多く存在した。

なるほど。道理でこの伊東墓地が大安寺の近くに在るのですね。

 

案内看板によりますと、現在整然と並んでいるお墓たちは建てられた当時のまま残っているのではなく、昭和54年に墓地改修が行われた際に、粗末に放置されていた墓たちを、墓地の東側に集めて整備しなおしたのだそうです。

 

この地を240年に渡り治めた伊東氏は16世紀後半に島津氏との争いに敗れ、都於郡城をすて、豊後に落ち延びていきます。

敗れると、時や人々からその存在が忘れ去られていくのですね。一度は栄華を誇ったのに…虚しさを感じます。

 

 

墓地の最奥に、城主たちのお墓が並んでいます。

向かって右から、

・第11代城主 伊東義益 僑墓(きょうぼ)
・第8代城主 伊東祐充
・伊東祐堯の側室 野村氏
・第5代城主 伊東祐堯
・伊東尹祐の側室 福永氏

写真には収まりきっていないのですが、そのさらに左に
・第7代城主 伊東尹祐

 

…となっております。

 

城主たちと同じ列に側室のお墓も並べるというのが、とても思いやりのある計らいだなぁ、と感じました。

 

一番大きな第11代城主 伊東義益(よします)のお墓は「僑墓(きょうぼ)」と呼ばれるもので、参拝のために建てられた仮のお墓です。

義益の本物のお墓は、また別のところに在ります。↓

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木崎原(きざきばる)合戦々死者之墓

木崎原の戦いは、元亀3年(1572年)、日向国真幸院木崎原(現宮崎県えびの市)で伊東義祐島津義弘の間で行われた合戦です。

(中略)

島津・伊東両氏は、この一戦を境として、その後、島津氏は三州(日向・大隅・薩摩)制圧の夢を果たし、一方、伊東氏は居城 都於郡(とのこおり)を追われ衰退の一途をたどるという両氏の明暗を分けた一戦であったため、古来より「南九州の関ヶ原の戦い」といわれています。

引用元:えびの市HP https://www.city.ebino.lg.jp/display.php?cont=121101140017

 

両氏の明暗を分けた一戦」……歴史上で大きな転換が起きた、重大な戦いだったのですね。

もしここで伊東氏が勝っていたら……宮崎県西都市はそこそこ都会になっていて、今頃は賑やかなショッピング通りができて街中を電車が走ってたのかなぁ……うーん、歴史を変えてみたい!(叶わぬ夢)

 

木崎原合戦では、5月4日の1日だけで伊東軍560余人島津軍260余人の戦死者が出ました。

引用元:えびの市HP https://www.city.ebino.lg.jp/display.php?cont=121101140017

 

大勢の人々が亡くなった戦いだったのですね。伊東墓地にあるお墓のほかにも、木崎原合戦の戦死者を供養する塔や塚が、宮崎県内にはいくつかあるようです。是非とも訪れて、記録したいものです。

 

 


今回の訪問記は、これにて仕舞です。

 

史跡を訪問するたびにどんどん伊東氏への造詣が深まります。今回の訪問でわたし的に1番大きな情報は「木崎原の合戦」でした。

 

 

ご精読ありがとうございました(*^-^*)

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