城跡訪問記。240年に渡り伊東氏累代の居城として栄えた都於郡城

こんにちは。

この度はわたしのバイタリティが爆発したので、以前から考えていた都於郡城跡(とのこおりじょうあと)探索ツアーを決行しました。

 

 

都於郡城とは…?

名前: 都於郡城(とのこおりじょう)
城主: 伊東氏
所在地: 宮崎県西都市大荒武字都於郡
標高: 約100メートル

 

都於郡城は、現在の宮崎県西都市に存在した日向伊東氏が拠点としたお城です。

建武2(1335)年に伊東祐重が築城し、以来、天正5(1577)年までの242年間、伊東氏累代の居城として栄えました。

 

主体部は「本丸」「二ノ丸」「三ノ丸」「西ノ城」「奥ノ城」の5つの曲輪(くるわ)からできており、通常は「五城郭」と称しています。

また、遠くから見ると船が浮かんでいるように見えることから「浮船城」とも呼ばれています。なんだかファンタジックで素敵です(^0_0^)

 

現在では、お城の跡形もなく復元もされていないので完全に跡地のみの場所ですが、この都於郡城跡地は国指定史跡として登録されています。

 

さて、探索ツアーでは上記の五城郭をまわります!

 

 

都於郡城跡へ向かう

場所はこちら↓

日本、〒881-0104 宮崎県西都市大字鹿野田

 

いざ!カーナビに都於郡城のアドレスを打ち込まん!……とするも、このお城は広範囲にまたがっているので正確な地点がないんですよね。方向音痴もちぴよ氏、早速ここで詰みます(笑)

しかし諦めません!Google mapでの検索結果とカーナビの地図を照合して「大体ここかな」と当たりをつけてから車を走らせます。

 

すると、見えてきました!目立つこの看板2つ。

 

都於郡城の概要が書かれた看板です。読むと城跡への興味がさらにわきます。わくわく。

 

案内に従って車を走らせます。そうするとだんだん道幅が狭くなってきて…こちらの注意書きに出会います。

できるだけ城跡の近くに駐車したかったけど(笑)、不安なので下の広い駐車場に停めてから探索に向かうとします。たまには歩こう…ダイエット…。

 

 

本丸跡

まずは都於郡城の顔!(なのか?!)である本丸跡から参りましょう。

 

駐車場からてくてく歩いていくとすぐに見えてくるこちらの標識。本丸跡へ行きたいので、階段を上ります。

 

到着。

都於郡城についての概要ですが、「~が考えられます」「~と推察されます」という書き方なので、この城跡はまだまだ謎だらけなのかもしれませんね。わたしとしては、謎に包まれた史跡、大好物です!(笑)

これからの調査により歴史が明らかになっていくのでしょうか。楽しみです。

 

国指定史跡 都於郡城跡」標識と城跡マップ、そして後ろにはこの方…

伊東マンショ!(の像!)

伊東マンショ像の訪問については別記事で詳しく書いているので、もしよろしければご覧ください(*^_^*)↓

実は西都市出身だったこの人に会える!天正遣欧使節【伊東マンショ像】
西都市で伊東マンショに会えます!(興奮)伊東マンショとは、歴史の授業で習う「天正遣欧少年使節」…ローマに派遣されたあの4人の少年うちの1人です!伊東マンショは、1570年頃、日向国都於郡(現:宮崎県西...

 

 

本丸跡から対岸の二ノ丸跡を望めます。

 

ちょっと凹凸がわかりにくいので、こちらを。↓

都於郡城は、空堀(からぼり)を巡らした中世の典型的な山城でした。これが、その空堀なのでしょう。その当時を想像してしみじみとします。

 

それにしても、なんとも気持ちのいい場所です。大自然!緑!青い空白い雲!

ていうか空が広い。長く首都圏に住んでいたので、ここ西都市に帰るたびに空の広さに感動します。

 

 

二ノ丸跡

続きまして、本丸跡のお隣、二ノ丸跡へ向かいます。

本丸跡の適当な場所からダダダーッと下り、対岸に上ります。

 

到着。

こちらの二ノ丸、五城郭の中でも最も古い時期に築城されたものであろう、と記述があります。

 

今では草がこんなに生い茂っています。「半世紀前はここにお城が建っていたのか」と想像すると感慨深いです。どんな形のお城だったのでしょうか。

 

 

奥ノ城跡

続きまして、本丸跡の隣に位置する奥ノ城へ向かいます。

最初に注意喚起をします。奥ノ城へは入らない方がいいです。ほとんど整備されておらず、高所から堀へ転げ落ちると危険です。宜しくお願い申し上げます。

 

本丸跡から元来た階段を下り、奥へ進みます。

 

分岐点に1つの短歌が置かれていました。

「男の子ぞと 満所生まれし奥ノ城
生声(うぶごえ)高く 海を渡れと」
大町三男氏

 

伊東マンショは、この奥ノ城で生まれ育ったと言われています。

大町三男さんは、都於郡の歴史研究をされた方です(都於郡関連書籍を図書館で彼の書いた書籍を多数見つけました)。

 

奥ノ城は、城主一族の大奥として、奥方や侍女をはじめ家族の住居であったようです。マンショもここで幼少期を過ごしていたのでしょうね。

 

断崖絶壁…といかないまでも、かなり急な坂&深い堀です。危険です。用心しながら探索します。

急!すっごい急!

 

こんなに高く堀も深いところですから、敵から狙われにくいでしょうし家族の住居として使われていたのには納得がいきます。

 

 

三ノ丸跡

三ノ丸城跡へ参ります。

本丸城跡をおりて、アスファルトをぐるりと歩いていると標識を見つけられます。近くには民家もいくつか並んでいるので、道に迷ったら尋ねてみるのもいいと思います。

 

矢印の方角に歩いていきます。

 

途中でまた素晴らしい景色に出会いました。です!

当時の光景を妄想してしまいますね。

 

三ノ丸跡へはちょっと距離があります(本当にちょっとですけど)。またまた見つけた三ノ丸跡標識、その後ろは公衆トイレです。ありがたや…。

 

しばらく歩くと分岐標識を見つけました。三ノ丸跡へ行きたいので、右に進みます。

 

ここはきちんと舗装された階段があります。

 

到着。

三ノ丸は三方断崖をなしています。山の麓には三財川が流れており、自然の外濠として機能していたと思われます。

 

なんと、三ノ丸跡には寛ぎスペースあり!ここで絶景を望みながら読書やランチタイムしたいものですね…!

 

柵のそばには、城下マップが設置してあります。

やっぱり空、ひろい!

高い木々がそびえ立っているので川や町並みがあまり見えないのですが、ここにお城が建っていたとすると、階上から眺める景色はさぞ素晴らしかったろうと容易に想像できます。

 

三ノ丸跡は、わたしの両親が小学生の頃に遠足で来たことがあるそうです。地元の小中学校では定番の遠足・社会見学スポットなんだとか。

そのおかげか、五城郭のなかでは最も定期的に管理されている印象を受けました。

 

 

西ノ城跡

三ノ丸城を下り、先ほどの分岐点から西ノ城跡へ向かいます。

 

 

到着。

目下に西都市三財地区全体が見下ろされます。三ノ丸と共に、外敵からの侵入に備えるための城あったのではないか、ということです。

 

三ノ丸城跡からよりも川や町並みがよく見えます!確かに、物見としてベストポジションだったのかもしれませんね。

 

 

まとめ

おすすめは《本丸跡》と《三ノ丸跡》

五城郭すべて探索して参りまして、おすすめは5つ全部!…と言いたいところですが、柵の整備や定期的な管理が為されているのは本丸跡三ノ丸跡だけでしたので、この2つをおすすめします。

本丸跡と三ノ丸跡は、草が短く刈られていて観光しやすいです。本丸跡は伊東マンショ像が設置されているのと、三ノ丸城跡は定番の遠足スポットということで、定期的に管理が為されているのだと思います。

対して二ノ丸跡、奥ノ城跡、西ノ城跡は、草がわたしの太ももあたりまで高く生い茂っていたので一歩一歩進むのに難儀し、足元はほとんど見えない状態でした。観光されるのは危険かなと思います。

 

ただ、わたしが訪問したのは真夏だったので、秋冬に行けば草木が枯れていて歩きやすいかもしれません。

 

 

行く際の格好に注意

原っぱを歩きながらの観光となりますので、

・長ズボン
・長めの靴下
・スニーカー

この3つは必須です。加えて、夏であれば虫よけスプレーも噴きかけておくとバッチリです♪

わたしはロングスカートに靴下、スニーカー、虫よけスプレー無しで挑んだので、足首を蚊にさされまくってすごいことになりました…。お気を付けください(笑)

 

 

また更新します。

 

こちらの記事もよろしければ併せてご覧ください。

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ご精読ありがとうございました(*^_^*)

引用・参照
都於郡城跡 案内看板
西都市HP(http://www.city.saito.lg.jp/post_278.html/)

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