都於郡城城主であった伊東義益のお墓があるという【中尾城跡】を訪ねて

中世、西都市には「都於郡城」という日向伊東氏が拠点とするお城が在りました。

その都於郡城をとり囲むように7つの出城が在りまして、その出城のうちのひとつである【中尾城跡】を訪ねて参りました。

目的は、そこに在る都於郡城第11代城主・伊東義益のお墓にお参りするためです。

 

 

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経緯

以前、下三財神社を訪ねた際に、そこには伊東義益の死を悼み建てられた岩崎稲荷六地蔵塔がありました。

またある日、伊東氏歴代当主の眠る伊東墓地を訪ねた際には、そこに伊東義益の僑墓(きょうぼ=仮のお墓)がありました。

 

仮のお墓があるんなら、本物のお墓も勿論あるよね?

イエス。

調べてみたところ、義益の本物の墓石は、どうやら都於郡城の出城の一つである中尾城跡にあるということがわかりました。

正確には、中尾城跡の中の円光院跡にあるとのこと。この円光院というのは、義益が24歳という若さで亡くなった際に、父の義祐が、義益の菩提を弔うために建立したものだそうです。

円光院といい、下三財神社の岩崎稲荷六地蔵塔といい、義祐父ちゃんの義益坊ちゃまへの愛が感じられますね…。

 

円光院跡には義益の墓石と一緒に、9歳で亡くなった義益の兄、歓虎丸の墓石も並んでいるということです。墓石の形はお馴染み「伊東塔」で、西都市の市指定史跡になっています。

三位入道義祐の子供たちは、兄弟とも若くして亡くなってしまったのですね…。兄弟どちらかが長生きしていたら、都於郡城および伊東氏の未来はまた違っていたのかな…なんて妄想。

しかし、一時期でも都於郡城城主として地域を治めた義益のことは、立派な殿様だと思っております。熱心に祈祷もしていたようですし。

 

そんな伊東義益さんの本物のお墓に、お参りしないわけにはいきません!

 

 

所在地

中尾城跡(円光院跡)の所在地は、宮崎県西都市大字鹿野田で、都於郡城跡と同じ区域です。

 

地図はこちら

中尾城跡のおおよその地点は上の通りですが、この地点のアドレスが不明なので(2020年1月4日現在)、一番近くにある施設【都於郡地区館】をカーナビに入れて、向かいました。

 

中尾城跡付近は駐車スペースがなさそうなので(実際なかったw)、この都於郡地区館の駐車場に車を停めさせてもらいました。徒歩(かち)にて参る!

 

 

中尾城跡(円光院跡)を目指す

県道325号線から脇道に入っていきますが、ちょうどその分岐点に案内が立っています。

史跡「円光院跡」

円光院 義益墓は風に哭き 祈り空しく 国は破れて

 

悲しく、しかし風情のある素敵な短歌です。この短歌を詠んだ大町三男さんは、都於郡城の研究をされている方のようです。

 

案内看板の横から、路地を進んでいきます。

道には轍があるんですけど、その先に駐車スペースはありません。なぜならそこは…

 

HA☆TA☆KE

木々に囲まれた畑ゾーンです。ここに中尾城跡は潜んでいるのです。

はい、もう見えていますよ。中尾城跡。

コレ!

 

史跡「中尾城跡」

竹藪の入り口あたりにこの案内が立っています。このあたりが中尾城跡の代表地点なのか、それともここは中尾城入り口というだけで、この竹藪を進んだ先に円光院跡もあるのか…?!

 

いつもなら間髪入れずグングン侵入していくところですが、今回は少し躊躇いました(笑)だって、躊躇うくらいには辺りが全く整備されていません(笑)

「史跡」って案内立てて市のホームページでも紹介してるんなら、せめてその史跡を拝める程度の最低限の整備はしとけYO~!なんて思いますが。

 

しかし、ここまで来てただでは帰れない。進みます。円光院跡の義益のお墓にお参りするために!

1つ後悔したのは、こんなところにスカート姿で来てしまったこと…。

 

一応、人が踏み分けてできたような道が続いていたので、わたしもそこを辿ることにしました。

度々、木々に行く手を阻まれます。

踏み分けられた道のおかげでどんどん奥に進むことができましたが、進むたびに不安が膨らんでいきます。進んでも進んでも、どこかへ辿り着く気がしません。

 

台風の被害なのか、元からなのか、倒れた竹がめちゃくちゃ侵入を阻止してきます。

奥へ進んでいくうちに、虫や鳥の鳴き声がしなくなり、静寂のなかに私が草木を掻き分けて歩く音だけになります。

五感+第六感のすべてが知らせてくる、死の予感!

 

 

ここでクマ出たら死ぬわ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギブアップしました(´;ω;`)

 

妙な静寂が怖すぎて無理でしたね。円光院跡までの距離もわからないし、そもそもこの道が本当に円光院跡に続いているかもわからないし。

やることが無謀すぎました。(反省)

 

 

生で拝みたかった円光院跡の義益の墓石は、西都市のホームページに説明とともに写真が掲載されています。

キャプチャ画像掲載元:「伊東塔」円光院跡(http://www.city.saito.lg.jp/post_372.html

 

この写真の感じだと、すごく立派な伊東塔っぽいんですよね。大きさとか表面の風化具合とか刻まれた文字とか、確認したかったです。

 

 

まとめ

今回は、都於郡城第11代城主・伊東義益のお墓があるという【中尾城跡(円光院跡)】を訪れましたが、肝心のお墓まで辿り着けませんでした。

タイトル詐欺です!申し訳ありません!!!

 

義益のお墓は西都市の市指定史跡になっているみたいですが、観光所として全く整備されていないため、わたしたちがひょっこり拝みに行くのはかなり難しいです。

 

しかしまぁ、辿り着けなかったことでわたしは未だにもやもやしているので、またチャレンジするかもしれません。今度は長ズボンに長靴、長袖、帽子の完全防備で!(笑)

 

それとも、ドローンを飛ばす練習をして、上から観測しようかな?この方が安全ですね。

 

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ご精読ありがとうございました(*^-^*)

 

参照 西都市HP>「伊東塔」円光院跡(http://www.city.saito.lg.jp/post_372.html

コメント

  1. 村端五郎 より:

    本日、地元の方の案内で「義益」と実兄「歓虎丸」が眠る墓地に行ってきました。やはり竹薮を抜けるのに苦戦しましたが何とか15分程度に到達できました。入口から300m程度でしょうか。スカートではちょっと厳しいですね。
    墓石の周りに巨木が数本あって、中には桜の木があり、何とかしないと枝が墓石を破壊しかねない状態になっていました。墓石は、かろうじて西都市のホームページにあるような状態でしたが。地元の方が、枝払いを教育委員会に頼んでみる、とおっしゃっていました。
    気温が上がらないうちにぜひもう一度挑戦してみてください。立派はお墓です。墓所につながる道も整備していただくと良いのですが。。。

    • もちだもちぴよ より:

      こんにちは。
      コメントをありがとうございます!
      実際に墓石まで辿り着かれたのですね!素晴らしいです!とても危険な道でしたよね。ご苦労さまでございました(;_;)

      墓石が危ない状態なのですね…。
      訪ねようにも気軽に踏み込めない立地ですから、木も荒れ放題にもなってしまいますよね。
      「市指定史跡」と登録があるからには、最低限の整備をやっていただきたいところです。

      私はこの記事を書いた後「私が侵入した入口は間違っていたんじゃないか」「墓石はまた別の林の中にあるんじゃないか」と思いこんでいましたので、あの竹藪への入口で合っていたことが分かりとても嬉しいです。
      300メートルは結構長いですね。私は100メートル辺りで断念したと思います。竹藪の静けさにやられてしまいました(泣)

      私、現在ドイツにおりましてすぐには西都に戻れないのですが、戻った折りには必ず再挑戦します\(^o^)/
      今度は、安全な服装で(笑)

      この度は貴重な情報を頂きましてどうもありがとうございました。

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