今回は、宮崎県西都市大字三宅にある【日向国分寺跡】に行ってきました。
国分寺と言えばその歴史は古く、奈良時代にまで遡ります…。
奈良時代、「国分寺建立の詔」によって各国(県)に1つのお寺を建立することになったとされており、こちらもそのときに建てられたお寺です(正確な建立年についてはまだ分かっていないみたいです)。
いや~日向(宮崎県の昔の呼び名)の国分寺がまさか西都市にあったとはね…。実家が近所なのに、なんとなく調べてここに寄ってみるまでは知らなかったです。
【日向国分寺跡】の場所はこちら↓
到着。
専用駐車場がありました。
写真中央に写る小さな箱の建物はトイレです。とてもきれいな洋式トイレです。こまめに管理がなされているのが伺えて感動しました。
わたしは寺社を訪ねると必ずお腹を壊すので(失敬)、とても助かります…!
日向国分寺跡
まず目に入る建物がこちら。
この建物は【木喰五智館】です。国分寺の正確な跡地ではありません(跡地は現在原っぱ)。中には五智如来像が安置されています。
両端の仁王像のお二人。
でーーーん。
フレームに全部収まらなかったので、パノラマモードで撮影してみました。
かなりカーブがかかっちゃって想定外(゜Д゜) パノラマ撮影ってこんなものなのかな?!(笑)
向かって右からみなさんをフレームに収めました。
五智如来像のみなさんは、全て木製です。
1790年代に日向国分寺の住職に就いていた木喰上人(もくじきしょうにん)がクスの丸太から彫ったもので、木喰彫像の中でも最大作と言われています。
製作後200年以上も経つんですねぇ~。それらを目前にして、なんだか感慨深いです。
木喰上人とは…
享保3(1718)~文化7(1810)年 享年92歳
出身地:
甲斐国(山梨県)西八代郡丸畑村
神奈川県大山不動尊へ参詣し、そこで真言宗の高僧より道を説かれ仏門に入る。44歳の時、
茨城県羅漢寺の住職、木喰観海上人より「木喰戒」を受ける。
56歳の時、
日本廻国の大願を発し、以後27年間の全国行脚の途につく。
(中略)
71歳の時、
中部・近畿・中国・四国遍歴の後、宮崎県に入る。西都市三宅村の日向国分寺に至り、地元住民に求められて住職となる。以後9年間、三宅村に滞在する。
74歳の時、
国分寺炎上。再建の大願を発する。
76歳の時、
国分寺伽藍、本尊、彫像などを完成させる。
80歳の時、
日向国分寺を去り、再び一遍路の身となる。
(中略)
89歳の時、
故郷に帰り、秋、京都府船井郡畑中村清源寺に留まる。
92歳の時、没する。
参照:木喰略年譜
年譜は、日向国分寺に関わることをメインに抜粋しました。
年表によりますと、日向国分寺は寛政3(1791)年に炎上したそうです。そこで、木喰上人は再建の大願を発し、2年後の寛政5(1793)年夏、国分寺伽藍、本尊、彫像などを完成させました。
当時の建築方法などについてほとんど知らないのですが、専用機械もない時代に、建物や彫像に至るまでをたった2年間で仕上げたのがすごいですよね。
真ん中の大日如来さん。
胸の前に添えた右腕が欠けて木の繊維が見えてしまっています。これは木製だとは知りつつも、「わぁ~ホントに木で出来てるんだ~」と見る度に感動します(笑)
ふり仰ぐと、館内はとても素敵な天井の造りをしていました。
建物の中には仏像の他にも、ちょっとした寛ぎスペース(木製ベンチ、長テーブルとイス)があったり、木喰上人(もくじきしょうにん)の紹介、年表が飾ってあったりします。
木喰上人の紹介
木喰略年譜
寛ぎスペースに置いてあった、来訪者名簿と絵本「木喰さん」。
来訪者名簿をめくってみると、毎日少数ではありますがこの田舎にも来訪者があることが分かり嬉しく思いました。地元なので(*^_^*)
絵本「木喰さん」は、西都市出身の画家・弥勒祐徳(みろくすけのり)さんが描かれた作品です。
色彩豊かな油絵とともに、五智如来像の作者である木喰上人の生涯がわかりやすくかかれています。
国分寺跡地や五智如来像をみて、この絵本や木喰上人の年譜を読むと、一気に地域の歴史や文化への造詣が深まり、地元への愛着もわきました。
地元の歴史や文化財って、灯台下暗しとはよく言ったもので、興味を持たないとずっと知らないままですよね。
この度、興味をもって訪れてみて良かったです。
さて、木喰五智館を出まして、日向国分寺跡地を見に行きます。
国分寺の跡地は、現在このように何もありません。
礎石?が点在しています。
ここが柱跡でしょうか?
日向国分寺跡敷地内には、大きなイチョウの木があるのでこちらもご紹介します。
でーーーん。
でっっっかいです。がっしりと太いです。推定樹齢600年だそうです。
幹に大きな裂け目があります。
この木は絵本「木喰さん」にも描かれていたのですが、この裂け目にまつわる言い伝えがあります…。
木喰はこの樹に龕を造り、小さな像を祀って、その空洞の穴が樹皮でふさがれたとき、再びこの世に現れると告げたという伝説があります。
現在、この幹の裂け目の中には何も入っていないそうです。この数百年のうちに誰かが持っていったんですかね。妄想が捗るミステリーです。
というところで、日向国分寺跡の探索は終了です。ご参考になれば、幸いです。

あたたかみのある木製の仏様に癒やされました…。
ご精読ありがとうございました(*´ω`*)
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