【ドイツ旅行記】Neckarzimmern ネッカーツィマーン(ホルンベルク城)

mochidaのドイツ旅行記、ハイデルベルク周辺散策の巻。今回は Neckarzimmern(ネッカツィマーン/ネッカーツィンメルン)にあるホルンベルク城に行ってきた。

「鉄の手」で知られるドイツ帝国騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの居城。

前回のハイデルベルク周辺お散歩記録はこちら。

 

Neckarzimmern の位置

Neckarzimmern(ネッカツィマーン/ネッカーツィンメルン)はドイツ南西部 Land Baden-Württemberg(バーデン=ヴュルテンベルク州)の北部、ネッカー川沿いに位置している。

周辺都市は、Mosbach、Haßmersheim、Gundelsheimなど。

同州の Heidelberg(ハイデルベルク)中央駅からS-Bahn(鈍行列車)を乗り継ぎ南東へ。1時間半ほどで到着。散歩として行くには少し遠めかも。

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Burg Hornberg とは


画像元https://www.burg-hornberg.de/

Burg Hornberg(ブルク・ホルンベルク/ホーンベルク)

ホルンベルク城は、Neckarzimmern近くのネッカー川沿いに建つ要塞。ドイツ最古のRitterburg(騎士の城)のひとつであり、ネッカー川沿いで最も大きく保存状態の良い城跡とのこと。

中世後期で最も有名で乱暴なドイツ帝国の騎士Götz von Berlichingen(ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン)の本拠地として有名。

この城の建設時期については明らかではないが、文書で初めて言及されたのが12世紀。当時はラウフェン伯爵家(Grafen von Lauffen)が所有していた。その後お城はシュパイアー修道院の管轄となる。

1464 年、シュパイアーはホルンベルク城をルッツ・ショット・フォン・ショッテンシュタイン(Lutz Schott von Schottenstein)に売却。ルッツとその息子コンラート(Konrad Schott von Schottenstein)の統治下で、城は居住施設と防御施設を含むようにさらに拡張されていった。

そして1517年、Götz von Berlichingen(ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン)はコンラートからホルンベルク城を6500ラインギルダーで購入。

その後1562年にゲッツが亡くなるまで、このお城で彼は家族と一緒に暮らしていた。

参照https://www.burg-hornberg.de/

 

「鉄の手」ゲッツ

Götz von Berlichingen(ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン)

ゲッツとは誰なのか。一言で表すと、彼は「鉄の手」を持つ乱暴騎士。笑

1480年、彼はベルリヒンゲン卿家の10人子供の末っ子として生まれる。

若い頃には強盗男爵仲間とつるんで強盗を繰り返していた悪ガキ。しかし参加した軍事紛争では成功をおさめちゃっかりと騎士の称号を取得している。

そして1504年、彼が24歳のとき、部下と小競り合いをしていたとき、自分が誤って発砲したフェルト・シュランゲ(弾丸が小さい大砲)の弾丸に当たってしまった。彼の右手が鉄に進化するきっかけとなった大事件である。

事故後1年ほど、彼はすっかり希望を失い心を病んでしまった。そこで、ヤグストハウゼンの鍛冶屋が彼に「鉄の手(義手)」を与える。


画像元https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Eiserne_Hand_Glasnegativ_3_rotated.jpg

最初は単純なもの、その後指節骨が動かせる複雑なもの(上の写真)を作った。これは当時の傑作だった。内部のラチェット機構を使用して指をロックでき、これを使えば、ゲッツは馬の手綱を握ることができ、さらに重要なことに、再び剣を扱うこともできた。

その後、1508年から1519年にかけて大規模な抗争の時代。鉄の手はゲッツのトレードマークとなった。

彼の義手は現在はヤグストハウゼン城博物館(Schlossmuseum Jagsthausen)にて保存されている。

“Zwischen 1508 und 1519 macht Götz Krieg auf eigene Rechnung und ist fast an einem Dutzend Fehden und Händel beteilgt. Dabei geht es hauptsächlich um Eigentumsrechte, ausstehende Zahlungen oder Erbstreitigkeiten. Der von den Geschädigten beauftragte Fehden-Ritter Götz agierte damals ähnlich wie ein Inkassounternehmen heute.”

「1508 年から 1519 年にかけて、ゲッツは自らの責任で戦争を起こし、12 件近くの確執や口論に巻き込まれました。これは主に財産権、未払いの支払い、または相続紛争に関係します。負傷者から依頼を受けた抗争騎士ゲッツは、今日の債権回収会社のような活動をしていた。」

いいやつなんだか悪いやつなんだか分からん。笑

そうして数々の戦争で富を得たゲッツは、1517年、長年の友人であり友人のコンラート(Konrad Schott von Schottenstein)からホルンベルク城を購入した。その後、彼は 1517年から1562年に亡くなるまで、生涯最長となる合計45年間をここで過ごした。

ホルンベルク城の博物館には、彼が生前身につけていた甲冑が保存されている。500年近くも前のものとは思えない状態の良さ。

参照https://www.burg-hornberg.de/geschichtswelt/goetz-von-berlichingen/

 

ゲーテの戯曲に出てくるゲッツ

ゲーテはこの題材を有名な戯曲「鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン( Götz von Berlichingen mit der eisernen Hand)」に加工した。史実に忠実ではないという。

作中で出てくる主人公ゲッツのとあるセリフ、これがかなり有名。

„Vor Ihro Kayserliche Majestät hab ich, wie immer schuldigen Respect. Er aber, sags ihm, er kann mich im Arsche lecken!“

「いつものように、私は天皇陛下に敬意を表しています。でも彼に、彼に言ってよ、彼は私のお尻にキスしてもいいよ!」

今日でも有名な罵倒文句 “Leck mich im(am) Arsch“(和訳:俺の尻を舐めろ)。なんとこの戯曲のゲッツのセリフが元になっていたとは。ゲッツ彼自身が本当に言ったかどうかは不明だが。

このフレーズはシュヴァーベン地方(南ドイツ・オーストリア地域)の挨拶のひとつとして有名になり、後にモーツァルト(オーストリア人)も “Leck mich im Arsch” (俺の尻を舐めろ)というタイトルの声楽曲を作曲している。なんてこった。

 

お城を訪ねに行かん。

Heidelberg(ハイデルベルク)中央駅からS-Bahn(鈍行列車)を乗り継ぎ南東へ。1時間半ほどでNeckarzimmern(ネッカツィマーン)駅に到着。

ネッカツィマーン駅の近く、赤い格子扉の消防署(Feuerwehr)が目印。この建物の後ろの小道(Hornberger Weg)に入る。

Hornberger Weg(ホルンベルガー・ヴェーク)をまっすぐ登っていく。

 

お城に到着。

ほどなくして現れる。ホルンベルク城。要塞跡。

石壁の側面にこんな細い階段がついていたのが気になった。人間用にしては幅が狭すぎるんだよなぁ。何用だろう。

塔の赤い屋根がかわいい。THE絵本に出てくるお城という感じの外観。手前の窓付きの施設はレストランかな。

お城の入口らしき門。

お城と手前は(たぶん)ワイン屋さん。

敷地内にはホテル&レストランもある。

 

営業していなかった。

非常に悔しいことに、なんとこの日、到着した時には既にお城が閉まっていた。

わたしが訪れたのは2015年2月6日 金曜日。動き出しが遅かったため、ホルンベルク城についたのはちょうど閉館の16時前だった。こんなに早く閉まるものなんだ…。

そういえば歩いていたのはわたしただひとりで、全然人気を感じられなかった。

ちなみに、現在は4月~10月(サマータイム中)は毎日営業、3月、11月、12月は営業曜日を絞っている。そして、クリスマス~2月いっぱいまでは休業。(※2025年1月の情報)

上の写真はお城近くのワイン屋さんの扉に貼ってあった案内。ワイン屋さんに至っては日曜日の10時~16時のみの営業。に、に、日曜日だけっ?!

是非ここで一服したかった。残念。

お城の裏らしきところにも回ってみたが、門は既に閉まっていた。右の小さい方の入り口からは、入場料を払って入る感じかも?しかしスタッフがいない。やはり閉館してしまった後なのだ。

そういうわけで、わたしはこの日、ただ長時間電車に乗ってお城を遠くから眺め、また長時間電車に乗って帰っただけとなった。滞在時間は1時間にも満たなかった。笑

オフシーズンの観光は事前調査が必須。

 

ワイン醸造の歴史も古い。

城下のブドウ畑。素晴らしい眺めだ~!

ネッカーツィマーンでは、ローマ時代からブドウ栽培が行われていたことを示す手がかりが数多く残っている。ここホルンベルク・ワイナリーはバーデン=ヴュルテンベルク州内で最も古く、世界では2番目に古いワイナリーとのこと。

ホルンベルク城敷地内にはワイナリーがあって、販売もされている。わたしが訪問した時はお休みだったから買えず仕舞い。飲んでみたかったなぁ。

 

Neckarzimmern へのアクセス

ネッカツィマーンへは、同州の Heidelberg(ハイデルベルク)中央駅からS-Bahn(鈍行列車)を乗り継ぎ、1時間半ほどでアクセス可能。少し遠め。埼玉県から神奈川県の横浜より奥に行くくらいの感じ。

フランクフルト中央駅からだと、ICE(新幹線)とS-Bahnを乗り継いで約2時間半~3時間弱かかる模様。ハイデルベルクかマンハイム辺りに宿をとって観光するのが良さそう。

おわり。

 

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